2012年07月13日

トヨタの豊田社長、業績回復に自らハンドルを切る


7月13日20時55分配信 ウォール・ストリート・ジャーナル

 トヨタ自動車の豊田章男社長(56)がチャコールのスーツとネクタイ姿でカメラに手を振る姿が映る。そして突然、赤と黒のレース用ジャンプ・スーツを身にまとったヘルメット姿でラスベガス・モーター・スピードウエイに現れ、サイケデリックなカムリのセダンに乗り込む。運転席に取り付けられたカメラは、カムリのサウンドシステムがベース音を轟かせるなか、豊田社長がシフトアップする姿をとらえる。

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 これは昨年秋に米国で放映されたテレビ広告だ。広告のなかでナレーターが「米国で最も売れた車をどう作り直すのか」と問う。ナレーションは「運転席からだ。豊田章男。レースカー・ドライバーであり、そしてトヨタ自動車の社長」と続く。

 だが作り直されているのはカムリだけではない、豊田氏自身もそうだ。淡白だと言われるデザイン、2009年のリコール問題、2011年の大震災といった長年の不振から業績を立て直すため、豊田氏は自らハンドルを握り、自らテレビ広告に出演した。

 テレビ広告に出演した自動車メーカーのトップは何も豊田氏が初めてではない。クライスラーのリー・アイアコッカ最高経営責任者(CEO)は工場の床に立ち広告に出演した。フォード・モーターのビル・フォード・ジュニア会長は机の後ろから出演した。そして「ドクター・Z」ことダイムラーのディーター・ツェッチェCEOは、ダイムラー・クライスラー(当時)のためにダッジ・チャレンジャーの中から出演した。

 しかし傾斜31度のデイトナ・インターナショナル・スピードウエイを経験した人はいないし、ましてや両脇にパラソルを持ったレザー服の女性2人を従えて出演した人は誰もいない。(2人の女性はトヨタの自動車スポーツチーム「ガズー・レーシング」から名前をとり、ガズー・レディーという。ガズー・レディーは豊田氏がレースを行う際の取り巻きで、日本では相当数の「おっかけファン」もいる。)

 このロックスター的なキャラクター設定は、2009年に社長の座に就いてから豊田氏が自身の職務を定義してきた通常ではない方法を反映している。豊田氏は、事実上の最高マーケティング責任者(CMO)であり、かつチーフ・テスト・ドライバーの両方になった。豊田氏は、特にマッスルカーのサイオンFR-Sクーペ(日本名「86」、2万4000ドル・約190万円)やレクサスLFAスーパーカー(37万5000ドル)など、できる限り多くの車両を精査すると誓った。

 これは祖父が興した企業を引き継いだ当初、ほとんど表舞台に出てこなかった男の目を見張るほどの進化だ。2009年終盤にアクセルペダルでリコール問題が起こった際、前面に出てスポットライトを浴びた豊田氏の当初の公式コメントはぎこちないものだった。しかし2010年序盤の米国議会での証言では堂々と、議員らに向かって「すべての車に私の名前がある」と発言した。(企業名は、日本語での響きを重視し、1936年にトヨタに変更された。)

 トヨタの幹部らは、豊田氏を運転席の騎手に仕立てたキャンペーンは、最近の災難から新しい展開を図る上で奏功し、トヨタに、よりスポーティなイメージを与える一助となったと指摘する。直近のマーケティング努力は最新世代のカムリのローンチに向けて注がれていた。カムリは米国でこの15年間、1年を除いて最も売れている車だ。

 豊田氏は、1980年代にマンハッタンの投資銀行で働いていた際、中古のポルシェを運転して自身の運転技術を磨いたと話す。ポルシェを買ったのは、それまで乗っていたトヨタのセリカが盗まれたからだ。そのポルシェはすでにないが、豊田氏はポルシェのブレーキホースをほうふつとさせるスティールメッシュを使ったポルシェのボールペンを見せるのを好む。豊田氏は19日、記者に「これを見てくれ。自動車の部品そっくりだ」と言った。

 豊田氏の無鉄砲な行動は自身の存在感を高めることになった。これはほとんどの前任者が求めなかったことだ。渡辺捷昭前社長は在任中、人目につく場所を避け、自由な時間を男性合唱団で費やした。

 豊田氏のやり方はリスクもはらんでいる。2010年にトヨタのチーフ・テスト・ドライバー、成瀬弘氏が死亡した高速走行時の事故のようなリスクは特にだ。この事故は、豊田氏が独ニュルンベルクで開催される毎年恒例の24時間レースに3年連続で出場した1年後のことだった。トヨタによると、それ以来、豊田氏はどんなレースにも出場していないという。事情に詳しい筋によると、トヨタの取締役会から圧力がかかったことも一因だという。しかし、レース用のコースで一人、トップスピードで走行する習慣は止めてはいない。

 3月の記者会見で豊田氏は3人のテストドライバーと一緒に現れ、運転を止めないと主張した。「10年前、運転の師匠でもある成瀬さんから、運転の仕方も知らないのに余計なことを言ってもらっては困る。自分たちは命をかけていると言われた」と豊田氏は語り、「(私の)役割はプロと一般のドライバーのかけ橋になること」と述べた。

 豊田氏はテストトラックで過ごす時間を増やすため、ゴルフなど他の娯楽の時間を削ってきた。ゴルフを止めてトラックで過ごすようになったのは、ジャーナリストが豊田氏に対し、「トヨタの役員はハンドルを握らないでゴルフクラブを握っていると言った」からだという。

 豊田氏は耐火性繊維ノーメックスで仕立てられた赤と白のレーシングスーツを着て、定期的にイベントに現れる。レーシングスーツの肩パッチには愛犬「モリゾウ」のマンガ絵がついている。多くのCEOは名刺を差し出すが、豊田氏の主な「名刺」はこの愛犬のパッチがデザインされたシールの束だ。

 昨年11月、ラスベガスの社内カンファレンスに集まった約1100人の意気消沈したトヨタのディーラーや従業員を励ますため、豊田氏はレーシングスーツを着てステージに上がった。

 激励のスピーチの途中、豊田氏は社員らを促し一緒に「ワクドキ、ワクドキ、ワクドキ」と連呼した。「胸がときめくような気持ち」という意味だ。

 豊田氏は、トヨタの車に必要な情熱を表現する際に、よくこの言葉を使う。豊田氏は4月に、トヨタ車のデザインは「ツー・デモクラチックで」(民主主義的すぎて)需要を喚起できない、と記者団に述べた。

 豊田氏は製品開発に深く興味を持っている。2008年に始まったFR-Sスポーツカーの開発では、豊田氏は少なくとも月に1度は試作品に乗り、サスペンションから外側のバッジに至るあらゆることに、ときに厳しくフィードバックした。

 FR-Sのチーフエンジニアの多田哲哉氏は、「豊田氏のコメントはかなり厳しかった」と振り返る。あるとき、自分たちが開発の岐路に立たされた際、豊田氏は車がまったく自分に話しかけてこないと言って、その車に特別なところが何もないことを教えるのが、豊田氏のやり方だった、と同氏は話す。「それまでの社長には決してなかったことだ」

《ウォール・ストリート・ジャーナル Chester Dawson》



感想
 トヨタ自動車のトップであり、自工会(日本自動車工業会)の会長でもある豊田章男氏。創業者『豊田章一郎』の孫で、大のクルマ好き、ニュルブルクリンク24時間耐久レースに出場経験があるのも聞いていたが、チーフ・テストドライバーだったのは知らなかった。リスクのある仕事を社長にまかせるなど、普通は考えられないからだ(成瀬弘氏についての過去の投稿はこちら)。

 『FR-S』は86の北米仕様の名称で、北米では『サイオン』ブランドで販売される(関連リンクを表示)。サイオンはトヨタ、レクサスに次ぐトヨタ第3のブランドで、「ジェネレーションY」と呼ばれる若年層をターゲットとしている(関連リンクを表示)。そのFR-Sは6月に2684台と、サイオンのモデルで過去最高の売上を記録した(関連リンクを表示)。チーフエンジニアの多田哲哉氏が「かなり厳しい」と語った、豊田社長のコメントと熱い情熱がなければ、FR-Sがこれほど売れることはなかっただろう。

 冒頭で紹介されている、広告の映像はこちら


 記事にはニュルンベルクとあるが、ニュルブルクリンク24時間レースが行われるのは、ドイツ南西部のラインラント=プファルツ州にあるニュルブルク。ニュルンベルクは南東部のバイエルン州にあるので、これは誤り。



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